備忘録、あるいは、感じるところ。


いや、だから、雑務を片せという話なんですがね(苦笑)。


http://qp2009.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-6210.html


「15秒CM文化圏」ね、なるほど、これは理解しやすい(さすがQPさん)。
そして、スピードのある刺さり方というのも納得。
で、その上で、次のようなことが気になった。


a.「スピードのある刺さり方」のアイデアがしょっちゅうしょっちゅう出ないのであれば、
 こういうじんわりくる方が結果としては生活者の心にリーチするのでは?
 言い換えると、理想としてはスピード狙いだとしても、
 ビジネスとしてはこういうのも出せるという幅が必要なのでは?
b.15秒CM文化圏そのものが崩壊する可能性はない?
 (特に、広告主や広告会社のグローバル化、および、TV広告の凋落との関係で)


このあたりは、自分の研究の根幹の問題意識と関わってくるところだから
(そうでなくても僕は極論好きだからな……)、
慎重に慎重に考えないとなぁ。
象牙の塔で理想論ぶつだけでは意味がないしねぇ。


で、これと関係ありそうなのが、これ。


イチローさんのような広告プランニングが求められているのかもしれない: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)


僕は「ヒットで(が)いいんじゃない?」派なのかもしれない。
ドキドキワクワク感は「ホームランか三振か」にあるわけだけど、
ホームランバッターが現実には限られているとするならば、
ビジネスとしてはヒット量産型の方がいいような気がする。
「AP=底上げ」説はこの考え方に基づいて書いたものだし*1


改めて新聞の危機とマイクロペイメントとクレイ・シャーキー - YAMDAS現更新履歴


気に入ったのは次の2つ(元記事も他からの引用)。

新聞業界人はよく、新聞は社会全体の利益になると言う。それは本当にその通りなのだが、今さしあたっての問題には関係ない。;「俺たちがいなくなったら、寂しくなるぞ!」 ―という台詞がかつてビジネスモデルだった試しはないからだ。

社会は新聞を必要としない。必要なのはジャーナリズムだ。1世紀もの間、ジャーナリズムの強化と新聞の強化は互いにあまりにもきつく1本に括られてきたので、どっちがどっちか見分けがつかなくなっている。これは良き偶然だった。が、その偶然が終わった今(まさに我々の眼前でそれは終わっている)、それに代わる様々なジャーナリズム強化策が求められている。


そう、ジャーナリズムは必要。
講義でもこの点は伝えているつもり。
でも、この話をはじめると、ジャーナリズムとは何かだけで1回使わなきゃだから、
あまりに本題とかけ離れてしまうのが難点。
以前研究会でお世話になったT大学のM先生がこの分野はご専門なんだけど*2
彼なら学生向けにどういう風に説明するだろう。


2009-09-25


なんで「新旧分離」で再生がうまくいくのかと考えてたんだけど、
「旧は廃止する」ということへの布石だとの説明で、ようやく理解できた。
個人的には「お星さま大好き」なので、どうでもいいっちゃぁどうでもいいのですが、
知り合いがKIXで働いてるので、彼女に影響が出ない程度でどうにかなれば、と。

*1:だからこそ「上を伸ばす」には別の論理がいると思っているわけで。

*2:ご興味ある方はこちらあたりをご参照。  I Love Times Square