日曜日の朝にぼんやりと。

在外研究で最もお世話になった研究者の異動の報に触れる。個人としては心からお祝いをしたい。一方で、残された「地域」と「学部」のブランド価値が大きく下がるのではないかと思わず感じてしまう。いわゆる若手ではなく重鎮だし、存在感が大きい人だからこそ、なおさら(個人的には学問的系譜という意味でも/直近で「教授」に立て続けに2人がなって体制としては盤石ということもあるのかもしれない)。日本人的発想なのか、向こうでもそう思うものなのか。個人(への評価)が先に立つ社会というのは、なるほど、そういう社会なのかと思ったりもする。骨をうずめるという選択肢の優先順位が一般的にそれほど高くない社会といえばいいだろうか。研究者という職業の特性もあるだろうけれども。ドライと言えばドライだし、なにがしかの野望を持っているのかもしれない。もちろん、僕が知らないだけで、現在の職場に不満があるのかもしれない。祝意だけでは片づけられない、なんとも言えない感覚を抱いている。今度ゆっくり話す機会があればそのあたりも聞いてみようかしら。そして、僕自身はこの先どうしていくのだろうか。別に現在の勤務校に不満はないけれども、なにかあればすっと動くのだろうか、それとも「動けない」のだろうか(そもそも評価されるべき何かを持つことの方が先ではあるけれども)。個人なのか、しがらみなのか。今年の春は多くの知り合いが異動をした。近くにいた、ある分野における「お兄さん」もほんの少しだけ遠くに動いた。「前の大学での兄貴分」は、この春から「今の大学での兄貴分」になった。研究者として、教育者として、学内業務の一端を担う者として、僕はどこに行きたいのだろうか。たまたま、昨日の研究会終わりの飲み会でも、そういう話になった。先週出た別の研究会で、そもそも研究者として目指したい大きな大きな方向性を思い出すきっかけがあった。こういうことをなんとなくぼんやりと考えるタイミングなのかもしれない。そして、こういうことを考えると、組織よりも個人が先に立つ専門職についての研究をしているとは自分ではまるで思えないことにも気づいてしまう。そこもどうにか折り合いをつけないといけない。……無駄に長いな、この文章。とりあえず吐き出しているだけとはいえ。読みにくいし(段落を変えていないのはわざとやけど)。後日ゆっくり整理するかな。