枕経、なるもの。


初めての体験。


枕経 - Wikipedia


2時間半経ってもお坊さんがいらっしゃらないとか、いらっしゃったお坊さんの会話の噛み合わなさがひどいとか、まぁいろいろどたばたあったのだが、それはともかくとして。


知らないということは、経験したことがないからで。近い親戚では母方の祖父母と父方の叔母が亡くなっているのだが、いずれも年少の頃の話なので、枕経のことまでは覚えていない(参加したのかしてなかったのかもわからない)。最近亡くなった親類もいるが、父方の祖父の妹と少し遠く、海外出張中だったかなんだったかで、僕はお葬式にすら出席していない。


で、やはりというかなんというか、隣で思春期になったばかりの孫娘(僕にとってはいとこの子供)が泣きじゃくっているというのに、それほど悲しいという気持ちも湧いてこず、冷静にお経を聞いていた。おっちゃんとはあんなとこ行ったなぁこんなとこ行ったなぁとか、このお経の意味はなんやろなぁとか、そんなことをつらつら思いながら。


そんな中で気づいたことが2つ。


1つは、ここ1年で親しい人が亡くなるのは3人目なのだが、いずれも何を覚えているかというと、声を覚えているということ。もちろん見た目もやけど、見た目以上に声を覚えている気がする。これには何かあるのだろうか。


もう1つは、僕が幼い時に旅先で交通事故にあって亡くなった叔母のチコちゃんを除いて、今回が初めての「親の世代の死」であるということ。友人の親御さんとかの例を知らないわけではないが、自分の親類では初めて。うちの両親も60代半ば、なにかしてあげんといかんのやろうなと思いつつ、「親孝行したい時には親はなし」を地でいくんやろうなとも思う。


相変わらず悲しくはないわけだが、とはいえ食事を作る気にもならない。夕飯、どうするかな。


……大久保のおっちゃん、安らかにお休みください。向こうでも、甲高い声で笑いながら、競馬や麻雀を楽しんでくれるといいな。