質問をするということ。
昨日twitterでつぶやいたことを少し再掲
(「1項目=1つぶやき」ではなく、再掲にあたって編集をしています)。
- うちのゼミ生って議論をふっかけてきたりとかしないよな。
- 質問をしてくることすらない。
- 正答を聞こうとしてくることはたまにあるけど、それは望んでいない。
- 試行錯誤して失敗して……ってしないと成長なんてしないと思うんだけど。
- みんな失敗するのを怖がって話しかけてこない。
- ……ま、いいけどさ。
- 「なにがわからないか」「なにを自分は理解していないか」を自覚するのが怖いのかな……と。
これって、うちのゼミ生にはどう映っているんだろうか。
「また説教くさいことを言いはじめやがった」とか、
「そんなことくらいわかってて、かったるいから話さないだけだよ」とか、
「え、先生そんなこと考えてたの?成長にはそういうことって大事なの?」とか、
まぁいろいろあると思うわけですが。
「無知の知」という言葉のインプリケーションにはいくつかあると思っていて、
謙虚でいることの大事さを教えているだろうし、
成長のためのステップを教えてもいるだろうし、
人生を楽しむことの本質を示しているような気もするし、
他にもあるかもしれない。
でも、僕はこの「無知の知」という言葉を、とてもポジティブにとらえています。
ここから全てがはじまる、みたいな。
それでも、みんな、話さないんだろうな。
切磋琢磨という言葉があるけれども、
どうしたらみんなが(自発的に)切磋琢磨するようになるだろうか。
切磋琢磨しなさい、って言っても、それでするようなら苦労しないし。
僕個人は切磋琢磨したことが今の僕を作っているという気がしている。
仕事の上でも、趣味についても。
なんかまとまりないけど、そのうち続きを書くかもしれない。