素直さ。


Yさんの「学問上の妹」が、『Tenured & Promoted.』から始まる小文をFacebookに投稿していた。その小文に書かれているのは感謝のコメント。これまでお世話になったすべての人に対して。彼女は中国出身で、修士号獲得後にアメリカに渡り、大学院博士課程で3年、最初の勤務校で3年、今の勤務校で2年。文字通りいろいろな人にお世話になったのだろうと思うが、それをきっちりと、奇を衒うことなく、表現している。こちらまでとても嬉しくなってくる、そんな小文。


彼女は、僕よりもだいぶと若いはずだけれども、素晴らしい業績をどんどんと出している、とても尊敬できる人物。個人的に、今春、調査の関係で大いにお世話になった。その時に感じたのは、この人は性格の面でも素晴らしく、学問的な意味以外においても本当に尊敬できる、ということ。「こういうときは感謝の意を表明しなきゃね」という計算もゼロではないと思うが、おそらくはほとんどなく、本心から周りに感謝しているのだろうと思う。


この素直さは、アメリカに来て、アメリカ人に対して感じる素直さに似ている。アメリカ人って、素直だよな、と。もちろん、表面しか見えていないのかもしれないし、深く付き合うといろいろあるのかもしれないし、そもそも自己主張ははっきりしているけれども、でも、感謝なり謝罪なりというのは、すっと出てくるという感じがする。特に嬉しいとか可愛いとかいうようなポジティブな感情表現は、本当に多く目にするし耳にする。そういう文化で育ってきたことで、彼/彼女らにとっては身に染みついてしまっているものなのかもしれない*1


自分が京都出身であるということを強く意識する瞬間というのは、そうそうあるものではないけれども、でもたとえば感謝のコメントを見たときに計算の有無を考えてしまう時点で、僕は京都人なんだろうなぁ……とは思う。巷間よくある「京都人は腹黒い」「本当はなにを考えているのかよくわからない」という謂いに、僕も当てはまっているのかな、と。自分では喜怒哀楽は相当に表現してしまっている方だと思っているけれども(そしてそれはオトナとしてどうなのかと思わなくはないけれども)、それでも京都人だよなぁ、と。計算することが悪いことであるとはまったく思わないけれども、もう少し素直であってもいいのかな、とも思わないでもない*2。そんなことをあらためて感じた、嬉しい小文との出会いだった。


Congratulations!!

今日はこんな日。
  • 義理の両親のサンディエゴ滞在7日目。
  • 午前中は別行動にて、家で仕事。申請書の作成(月末締切)と校正(今日締切)と、その他雑務。
  • SDSU散策。暑い。Maggieにも紹介。
  • バスでダウンタウンへ。
  • Petco ParkにてPadres vs Bravesを観戦(5回まで)。相変わらず弱い。
今日のごはん。
  • 昼:Panda Express=Chow Mein、Beans、Teriyaki(後日追記します)
  • 夜:Petco Park=ホットドッグ

*1:ということは、実は、心のこもり方はそれほどではないのかもしれない、と考えていたのだけれども、どうもそういうわけでもないように最近は思える。

*2:特に学生と接するときには、もってまわった言い方はほとんど届いていない気がする。伝わっていないのであれば本末転倒なので、どうにかしなければいけない。ただ、一方で、皮肉を皮肉として受け止めることができる力も育んでほしいとも思う。なかなか難しい。