関係を継続するということ。


昨秋ある会を開催するにあたって久々にLINEを動かしたときに、既にその会に参加しにくくなっている数人が、LINEが久々に動き出したことを契機に「退出」するということがあった。これ、よくあることだとは思うのだけれども、個人的にはまったくと言っていいほど理解ができない。もちろん、自分にあまり関係がないところの通知がぴこんぴこん来るのはウザいだろうなぁ、とは思うんだけれども*1、「関係を断ち切ることを明示的に示す」ということをしなくてもいいのに、なんて考えてしまう*2


このツイート、以前も紹介したけれども、本当にそうだと思う。特に、こちらは仲がいいと思っていたのに、先方は実はそうでもなかったりとか、いろいろと理由があって連絡を取りにくくなる関係が出てきたりとか(こちらからの場合も、先方からの場合も)、「それならそうと最初から言ってよ」とも思うし、「騙すんなら最後まで騙してよ」とも思う。FacebookInstagramで何度リクエストを申請しても受け付けてくれなかったりとか、メールを出しても返事が来なかったりとか、ここ数日の間にもいくつもあった。あれ、それくらいの関係やったっけ、みたいな。


「愛を勘違いしないでください」「誰かを愛するためには、もっと努力が必要」と歌ったのはマッキーやけれども、そうなんやろうなぁ、と思う。年明け早々に挨拶旁々寄った某所でKちゃんと話したのは、家族とか、身内とか、仲間とか、もっと大事にせなあかんなぁ、ということ。「挨拶みたいに思ってた」のは自分だけかもしれず、もしかすると自分にとって都合のいいように利用していると思われてしまっているのかもしれないわけで。


そして、僕ももちろん、生来のものぐさが災いし、自分としてはそのような意図はないものの結果として関係性が途絶えてしまっているものもあるわけで。年賀状なんて最たる例で、ここ数年はまったく出せていない*3。これではいかんよな、言ってることとやってることとが釣り合っていないよな、とも思いつつ。


割り切りと、執念と、それに自分視点と他人視点と、全部のバランスを取れるような大人になりたいなぁ、と思う、そんな40歳直前。明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年早々届いた『組織科学』を見て。


落ち込む、というのとはなんか違うんやけれども、情けない気持ちになるなど。後輩にどんどんと抜かれている自分、これでいいのか、みたいな*4。がんばらねばなりません。

*1:実際に自分自身にとってのそういうグループもあるので、気持ちはわからなくはない。

*2:理由は簡単。重度のうさぎ病患者だから(苦笑)。

*3:結婚してからは、親類関係だけは妻がついでに書いてくれて、本当に助かっている。

*4:逆の観点からいくと、知っている後輩の晴れ姿を見ることができているわけで、その意味ではとても嬉しい、という気持ちも同時に持っている。